モチベーションの波のはなし
お久しぶりです。
4月から完全在宅で勤務していて、気が付いたらもう3ヵ月以上経過していることに気付いて驚いている。
出会う人や環境が変わり、影響を受けたり手放したことがあったりして、
あっという間で浦島太郎になったかのような気持ちと、一日一日こつこつ重ねてきた実感のようなものが入り乱れている。
不思議な感覚だ。
でも、「こんな時期だから」という一言で片づけてしまうのはなんだか雑すぎるように思える。
世の中が新型感染症でパニックになることも、例えば大きなライフイベントが動くことも、どちらも私や家族には大きな影響を与えることだろうから。
可能な限り因数分解して、何回かのブログでこの数ヵ月を振り返ってみたい。
モチベーションの波について、気づいたことを書きたい。
モチベーションの波が来た
数日前、ふと、気になっていること、勉強したいことに向けて、前向きに体が動くようになってきたことに気が付いた。
早起きした朝の時間に読書をしたり、
働き方やキャリアについて考えを深めたり。
少し前まで長い「凪」だった
日記やログを見直してみると、5月6月中はモチベーションが上がらず、ぐずぐずとしていたことがわかる。
こまめに更新していたinstagram(家族、春先に分かれた遠方の友人が見ているので、元気に・健康にやっていると伝えたかった)を見ると、
体調がころころ変わる、やらなきゃいけないことができてない
とある。
そうネガティブなことは書かないようにしていたけど、なんだかいつも焦っていた。
勤務時間で測るのも野暮だが、前職ではかなり多めの残業時間をうまく乗り切っていたし、体力はあるはずなのだ。知識欲もあるし読書も好きだ。
の、はずなのに。
定時になると「はぁーっ」と息をつく自分がいる。
そのことがなかなか受け入れられなかったのだ。
でも、今日になってそのモチベーションの「凪」は、忌み嫌うものべきものではなく、モチベーションの波が来るために必要な時期だったのかもしれないという思いが湧いてきた。
「凪」の期間は必要だった?
今回は、「凪」の時期に、「なぜ頑張れない?」と焦っていたので、かなりじたばたとあがいていた。
その時期は苦しかったが、今思うと、その期間で少し体力が付いたようにも思う。
モチベーションの波が来ない中、
苦しみながらもなんとか作ったものや結果が実を結び、
チーム内で発信した情報を面白がってくれる人がいた。
そのことで、苦しかった時期が報われたような気持ちになった。
今回モチベーションの波が来たのは、「なんとか動いていてよかった」という安堵からだと思う。
覚書
何にも頑張れない、疲れて動けないという時期は必ずやってくるもので、
「あぁ、またきたなぁ~」位に構えておけば、焦り過ぎるということもなくなるんだろう。
そして「凪」が来たら、自分の許容量の範囲で少し耐えるのがコツ、なのかもしれない。
そうしているうちにモチベーションの波は再びやってきた。
モチベーションの波がせっかく来ているので
今の時期をよく観察しておこうと思う。
報われなくともモチベーションの波を呼び寄せるにはどうしたらいいのか、
もう少し見つめてみたい。