飛び石ジャンプ

辛い日々も飛び石のひとつ。よく遊び、考え、暮らしを愛でる日々のブログです。

【随時更新】ブルーベリーの人工授粉

我が家のブルーベリー

我が家にはブルーベリーが植わっています。
去年迎えたもので、ノーザンハイブッシュ系の「ブルーヘブン」という品種です。
ブルーベリーには2系統あり、私が育てている「ハイブッシュ系」と「ラビットアイ系」があります。
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金継ぎ体験にいってきました

きっかけ

器がすきです。

旅先では必ず窯元さんや器を扱うお店に行くくらい。
毎年、栃木県益子市の陶器市に足を運んでいたのですが、コロナの影響でここ数年開催されていないようで寂しい。(オンラインでは実施しているようですが、器はどうしても手に馴染むかが気になるのでネット購入はできず…)

 

群馬県高崎市にある「うつわ・ぬくもり」さんという器屋さんがとても好きで、群馬旅行の際は必ず立ち寄るのですが、そこで買ったお気に入りの大きな器を、割ってしまいました。(夫が)

ちょうど、Maker's Baseが金継ぎ体験を値下げしていたので、運命と思い行ってきました。

 

makers-base.com

金継ぎとは

金継ぎとは、割れてしまった器を接着して修理する技法のひとつです。
漆を接着剤にして、その上から金粉を吹くことで、割れ目が金色に浮かび上がる装飾となり、本来ネガティブな割れ目に美を見出す手法です。

こちらは今回私が修復した器。まだ塗料が固まっておらず、金粉を掃えていないのでぼやっとしていますが、我ながらかっこいい…!!
体験で修復する場合には漆は扱いづらい(高価である、固まるのに1ヵ月かかる、アレルギー出やすい)ので、合成うるしを使用することが多いようです。本修復では、金粉ではなく真鍮の粉を使いました。
真鍮(ブラス)はアクセサリーや金管楽器にもよく使われるので、個人的には非常になじみ深い金属!
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金継ぎの様子

金継ぎの様子。
今回持参した状態はこちらでした。結構厚手の器で、釉薬の独特な色味とマットな質感が気に入っているものです。「どんぶり」と書いてありましたが、我が家2人はサラダボウルとして活用しています。(でっか!!というツッコミは置いておいて…)

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接着前準備~接着

ただしこちら、大きなひびが入っているので今後ズレが発生する可能性があるとのこと。私も持参するとき、あえて割るか悩みました。
今後水漏れをさせたくないので、一度ぱっきり割って、きちんと継ぎなおすことにしました。(怖いのでスタッフの方にやってもらいました。綺麗に割れた…)
このあと接着するので、かみ合わせがきれいになるように、何度かフィットさせる練習をしました。なるほど、この指導がなく自宅でやっていたら確実に接着のタイミングでズレていたな…。

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接着後の様子。綺麗にくっついただけで感動…

土自体が少しもろいので、割れ目に沿って紛失した部分が見られます。欠けている部分はパテで埋めてしっかり修復。

漆塗り

接着後、はみ出た接着剤をきれいに除去し、金属粉を混ぜた漆を塗布。
これが難しく、またざらっと感が大きい器なので筆がなかなか進まず!
欲張って4枚器を持っていきましたが、普通にこれ1枚しかできませんでした…

完成後。

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おお~!!!よく見る金継ぎの感じになった!!!
そういえば、STARWARSのカイロ・レンのマスクが継ぎはぎになっているのですが、あれは日本の金継ぎをイメージしたものらしい。

www.cinematoday.jp


仕上げに

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仕上げに、真鍮の粉をふきつける。すると、金属の光沢感が出てかなり高級な印象に!

か、、、か~っこいい~~~!!!
器が小さい参加者の方は、漆や接着剤を塗ったところを触らないようにするのが難しかったようです。一方大きな器は時間との闘いでした…。

 

 終わりに

本当に行ってよかった!!

今は自宅でもできるキットもたくさんあるけれど、やはりワークショップで、おなじ興味を持つ人たちとワイワイやるのが楽しい。
器が大きく厚く、接着剤を塗る面も多くかなり時間がかかってしまったのだが、同席した素敵なマダムに「映えますね、素敵!」と声をかけてもらってすごく嬉しかった。

 
金継ぎの醍醐味なんだと思うけれど、やっぱり元の姿よりも一層魅力的で、より器のことが好きになる。早く使いたい、サラダもりもり食べたい。
さて、作業が途中(修復まで)になってしまった器が3枚もあるので、来月また予約しました。修復したい器がまだまだあるので、器修復の日々はまだまだ続きそう。

楽しい休日でした!

梅干しをつけました【2021年版/随時更新】

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 去年初めて梅シロップ(結局途中で発酵してしまい梅酒にしたのだけど…)を作ったのが楽しくて、今年はいろいろ梅仕事を増やしてみた。

その中でも憧れはありつつ手を出せなかったのが梅干し

そもそもあまり好きではなかったのと、カビた時の処理がなんとなくシロップより面倒そうだなというのと、漬物石などそろえる物が多かったから。
でも結果的に、やってみたら梅(以降は梅ちゃんと呼びます)が可愛く、思ったより手軽でした。まだ完成していないので随時更新します。

梅の実の準備~追熟

選び方

5月末、近くのスーパーで梅を購入。
梅干しには青梅よりも完熟の梅が適しているとのことなので、自宅で追熟させることに。
もう少し待って完熟の梅が店頭に並ぶのを待てばよかったのだけど、去年お店で見た梅の実はかなり大きめで、梅干しにするなら比較的小さい実がいいなぁ…と思い、時期は早かったが購入することに。
梅干しを作る際の、梅の実の見どころは以下の通り。

  • 傷がないこと
  • 熟していること(追熟させるのもOK)

追熟…というものの特にすることはなく(アボカドが食べ頃になるのを待つのも追熟)、台所に新聞紙をかぶせて3日間置いておきました。腐らないよう風通しを保つことが必要なのでビニール袋などからは出す必要があるものの、あまりに水分が蒸発するのもいけないので、ふわっと新聞紙をかけておく程度がよいようです。
確かに、追熟3日目には2粒ほど、乾燥したのか少し皺が出ている実がありました。

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追熟前の青い梅。
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追熟後の梅。あんずのような甘い香り

購入したのは1kgの梅のパックでしたが、追熟が終わった時に重さを測ると、860gに減っていました。乾燥や痛みを考えると、追熟は3日間くらいがよさそう。
もしかしたら冷蔵庫などではまた状況が違うかもしれません。
ちなみに、皺が出ていた梅、小さな傷のある梅は、作る期間の短い梅シロップに入れました。

 

塩に漬ける

追熟の終わった6月3日、2時間ほど水に浸けて灰汁抜き。

そのあとざるに広げて、ヘタをとる。青梅よりもやわらかく、少し緊張。

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ざらざら塩を入れていく

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塩を入れる。14%の塩。

 食塩は梅の重さの14%で漬ける。

ワタナベマキさんの書籍を参考に漬けました。20%程度がお家梅干しのセオリーだったようですが、最近は減塩で作る人も多くなっているようです。やはり塩辛すぎると食べづらいので、マキさんにならって14%で漬けてみることにしました。

梅に塩をまぶし、漬物石を乗せておくと、3日ほどで梅から水分が出てきます。塩の浸透圧でじゅわっと出てきたエキスと塩のまざったこの液を梅酢と呼ぶようです。

この梅酢がしっかり出てきた状態を「梅酢が上がった」と言うそうですが、早めに梅酢が上がって、梅が液に浸るくらいになればもうカビの心配はなさそう。

ここまで嬉々として梅を漬けておいて、実はあまり、梅干しの味が得意でもなくて…。

健康にもいいし、お弁当に入れる安心感もあるので美味しく食べられるようになりたい。

この本を見ながら梅料理も楽しもう。

 

 

漬けて1週間の梅ちゃんの様子

 

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漬物石の下まで梅酢が上がっている

おお!!!

漬けてから2日目くらいまでは梅酢がまだ少なかったので、ぐるっと入れ物を回して、梅酢を梅にかけるようにして馴染ませていたのだが、1週間も経つともう梅が浸るくらい梅酢が増えていたので、容器を傾ける心配も無さそう。

その後、6月19日(漬けてから17日目)に赤紫蘇を追加投入します。

その後1ヶ月ほど漬け込み、梅雨明けに土用干し、さらに1ヶ月ほど漬けて完成です。

 

赤紫蘇投入は後日レポします!

では。

DINKsだとキャリア戦略の立て方は変わるのか

 以前こちらの記事を書いたのだが、実のところ、産休・育休を取ることを現実的に考えていない。sena210.hatenablog.com

 数ヵ月前、「仲良くしていたらいつかは自然に」とはいかないことがわかった。
本当は夫と二人で相談をするはずだったのだが、コロナの影響で診察室に一人しか入れなくなったため、一人で医師の説明を聞いた。

子どもを持つことに対して臆病ではありつつ、「子どもを持たない」と気持ちを振り切ることができなかった。
「社会的な責任から逃れようとしているのか」という誰かの声が聞こえる気がして。
でも、コウノトリの到来を待つ人が集まる待合室を見渡しながら、「私はここにはいられないな」とはっきりと思った。

数年したら、「今からでも不妊治療をしたい」と強く思うこともあるのかもしれないが、現時点では、妊娠へ向けてお金や時間を投入(いくらかかるかわからない)するよりも、今ここに存在する自分や周囲へリソースを割きたい。
子どもを持ちたいと切に願いながら、なかなか実現できない方へのサポートがより手厚くなってほしいと思う。
子の有無に関係なく、性差や年齢差を超えてすべての人が自己実現を目指せるように、自分という資源を使いたい。
少なくとも、自分よりも下の世代の女性が「女じゃなかったら」と悔しい思いをする機会を減らす手伝いをしたいと思う。

 

自分にとっては、「いったん家族に集中する時期を持つ」ということは、「パートナーが働けなくなる」「親が要介護になる」「被災して家がなくなる」「明日病気になって働けなくなる」というような、「起こるかもしれないが、起こると決まっているわけではないこと」の中の一つに過ぎない。であれば、産休・育休をマストにしたキャリア戦略を立てることはアンバランスなのではないかと思うようになった。

そこで、再度現時点での考えを整理してみる。

 

 

誰でもキャリアを断絶する可能性がある

しかしここで忘れたくないのが、「子どもがいない=キャリアが一本道」では決してない、ということである。価値観の変化や自分・家族の健康上の理由など、様々な理由で「仕事以外の何か別の要因にフォーカスしたい/せざるを得ない時期」がやってくる可能性がある。これは何も30歳前後の女性に限ったことではなく、老若男女問わず誰にでも言えることだ。もちろん子どもがいるかいないかにも関係がない。

このことは、自分自身がどう備えていくか(金銭的な対策を取る、健康的な生活をする、等)も重要だが、所属している場所が全ての人にとって働きやすい環境であるかどうかがより重要になる。社員が若くて健康だ、ということに依存している仕事の仕方では、個々の事情に対応しきれないだろう。VUCA化した社会の中では個別の事情も千差万別である。その視点が欠けると、自分の事は棚に上げて「妊婦さま」「子持ちはいいよね」という反感が生まれてしまうだろうし、「仕事に穴をあける人(理由はどうあれ)」に対する差別的な態度もなくならないだろうと思う。

 

仕事の仕方が属人化しすぎているのであれば、可能な範囲からでも業務の改善を行う必要があると思う。

 

仕事だけの淡々とした生活にならないようにしよう

以前は、「仕事の武器を一つこれと決めるために、早いうちに色々試して武器を決める」と書いたが、少々考えが変わってきた。

武器を決めたら一生それで戦い抜ける、なんてことがあるはずはないのだ。こちらの記事に関しては、マネージャーポジションへの理解が浅すぎると言わざるを得ない。

現時点では、20代前半と中間管理職・子育て世代のギャップを埋めながらチームビルディングに貢献して、ナレッジを積み上げる方法を模索したい。


子育て世代の先輩方は、仕事と子育て…と重要事項を何重にも抱えながら、それぞれをハンドリングする中で、知識や経験の「幅」を活かして、自身を変容させているのだ。
仕事に集中できることが、仕事で優位性があることには決してならない。
ともすれば画一的な時期になりかねないので、より意識的に「知識の幅」「経験の幅」を得るようにしていかないと、早い段階で「仕事人」としての限界にあたってしまいそうだ。

 

▼参考資料

 子ありも子なしもそう変わらないのでは?

周囲の人と一緒に働きやすさを向上させながら、職場でポジションを築くことを考えると、実際のところ子どもの有無は重要な問題ではないように思う。

「割を食うのは嫌だ」とワーママを憎むのではなく、割をちょっとずつ齧り合う関係として職場を構築できるようにしたい。突然の産休報告に対してでも心から「おめでとう」と言える自分でいたい。

30代、40代になるとまた違う考え方も出てくると思うが、現時点での年齢でできそうなことを考えてみた。

 

▼読んでよかった。仕事を常に傍らに置いておくという考え方。

「産む」と「働く」の教科書

「産む」と「働く」の教科書

 

選べるつきあいは選ぼう

友達に会いたい。
飛沫なんて気にせずに顔付き合わせて演奏がしたい。
馬鹿な話に大笑いして、美味しいもの食べたい。
仕事の愚痴も聞きたい。

大人になってから友達関係が楽しくなった。
ふと、最近人間関係に悩んでないな~と思ったので、ちょっと振り返り。


離れてもよいと理解すること


ここ数年、「あ、無理だ」と思った人とはスッと離れるようにしている。
みんなはきっと多かれ少なかれ、「疎遠になる」ことで、合わない人とは自然と距離を取っているとは思うのだが、私はそれがとても苦手だった。

合わなくても「付き合いが長いから」と我慢して付き合いを続けてしまうことが多かったのだ。
あと、幼少期から友達を「作る」ことに対して苦手意識があったので、せっかく親しくしてくれている人を切ってはいけないのではないか、という思いが強くあった。
これは思えば、自己肯定感の低さや自信のなさから、相手との関係に依存していたのだと思う。一人になるのが怖かった。

だがここ数年は、孤独よりも、「合わない人といることで疲弊してしまうこと」の方が嫌だと感じるようになった。
結局、割と好きに生きていても、数人とは仲良くできるし、合わない人はどんなに頑張っても合わないしね。

ここ最近の判断基準としては「支配的」かどうかがキーになっている気がする。
関係に甘えすぎると相手に対して支配的になってしまうし、他人と自分が分離できていない相手といると「あなたは○○すべき」とジャッジされてしまいかねない。

特に最近は、「自分の事を自分で決める」ということをとても大切だと考えるようになった。
大卒で頑張ろう!と思って就いた仕事で挫折したり、馬鹿にしていたはずの生き方を選んだりして、思ってもいなかった選択を都度都度してきた。けれど、結局は今にフォーカスするしかないと理解できたから、今は全ての選択をよかったのだと思える。
きっと他人が「あなたはこれが合ってる!」と決めてくれた生き方を選んでいたら、同じように思ってもいない場所に流れ着いたとしても人生の満足度が違ったと思う。
自分の人生だから、自分で選ぶから愛おしい。

 

一方、「良かれと思って」相手に干渉する人がいる。
「あなたは○○に努力すべきだ」と一方的に裁いてきたり、関係に甘えて「あなたなら理解してくれると思ってた」とこちらの思考を制限しようとしてきたりする人だ。
良かれと思ってモノや思いを与えてくれることもあるが、「ください」とも言っていないのに与えられても困るのだ。


自分とは違う考えの人がいるのもわかるのだが、自分が大事にする生き方をさせてくれない人と付き合うことは、もうあきらめた。
違う考え方をすることと、それを強いてくることは全く違う話だ。

自分の愛する者や考え方を否定してくる人とは関わらなくてよいのだ。

月1くらいのペースで「いいこと」がまだかと調査電話してくる親族がいたのだが、先日ついに連絡を絶った。
彼らがなぜほぼ他人の赤子の誕生を心待ちにするのか全く理解できないのだが、年長者の「ご助言」は尊重されるべきだという認識でいるらしく、結婚したとたん支配しようとしてくるようになった。そもそも大きなお世話だし、頻度も高すぎだろう。

私の知らないところで、ぜひ幸せに過ごしてください。

 
そして、合わない人を安心して切ることができるのは、大切にしたい友達がいてくれるからだ。大切な人を大切にするだけでも人生忙しい。
思うだけで頑張ろうと思えて、「恥じないように生きよう」と美意識の根源になるような友人を持てたことは、本当に本当に幸せなことだと思う。


9歳の自分に見せてやりたい


子どものころは友達が少ないことをすごく気にしていた。
体も小さくて頭もよくなかったので(おまけに運動神経もよくない)、からかいの対象になりやすかったこともあるかもしれない。
思春期にはべったりした女の友情を馬鹿にした態度を取っていたが、わかりやすいほどに羨ましかったんだろう。

当時はなおさら「合わない人とは付き合わなくていい」とも思えなかったから、孤独でないのなら合わない友人でも縋り付いていたように思う。

今9歳の自分に会えるなら、「好きになれる人とだけ一緒に居てもいいんじゃないの」と声をかけてやれるかもしれない。一方、「クラス替えまでの期間だけと無理に割り切らないで、好きならずっと好きでいいんじゃないの」とも言ってあげられるかもしれない。離れられるのが怖かったから、「どうせ期間限定の付き合い」と心に保険をかけていたけど、それももったいないことだったよなぁー。

 

それでも人の縁は不思議なもので

それでも不思議なもので、何年も会っていなかったのに、まるで昨日の続きみたいな時間を過ごせて、「また、明日も会いそうだね」なんて話して別れる人もいる。
夫とも、タイミングが違えば夫婦にはならなかっただろう。

 

さらに、相手がどう思っているかは究極のところ分からない。

そういえば先日、昔から私の一歩先を行っているように思っていた友人から、「私たちはよく似ているから」と言われてびっくりしてしまったことがあった。いや、憧れであって似てはいないでしょ~と言いつつ「え、似てると思ってくれてたんだ」と嬉しくなったことがあった。
私が「好きで好きでたまらん!」と思っている友達も、私のことを鬱陶しく思う時もあるだろう。

 

相変わらず人間関係得意な方ではないけれど、打てば響く素直さは大事にしたいと思う。

自分の時間をコントロールする喜び 意外と耳は暇してる

女性キャリア、生き方について考えることが多く、ワーママはるさんのvoicyをよく聞いている。

放送回#445 「毎日todoリストが消し込めずモヤモヤする話」で、自分の可処分時間、すなわち使える時間を分単位で把握し、優先順位をつけることでtodoリストをうまく消化するという話をされていた。

 

ワーママはるさんはほぼ毎日Voicyを更新しているので、当時でもコンテンツが400近くあったのだが、その中でもこの回を選んで聞いたのは私にも身に覚えがあったから。

また、子が出来てもっと時間がなくなるのに、今でも十分「時間が足りない!」と思っているから。

 

「今日は家事あれやって、これやって、あれやった後これやろ」と思って結局できなかったり、「今日は仕事であれやってこれやって…」と思っても時間内に終えることができなかったりといったことが、生活の中ではよく起こる。

そのように未消化のタスクができてしまうのには、自分が家事や業務にどれだけの時間がかかるのか正確に把握できていないから(どうしても後回しにしてしまうということも要因としてはあるが、それについては改めて触れたい。)ということ、そして優先順位がつけられていないという2方向の要因がある。

 

要因に向き合ったことで、私は「耳読」のインプット時間を増やすことができた。結果、月3冊分、収集する情報の量が増えた。

いつも時間がない感じがする方、特にインプットの時間を増やしたい方、参考になれば幸いです。

 

 

原因1:正確に時間を把握できていない

1つ目の「正確に把握できていない」という原因については、タイムトラッキングをして、分単位で計るしかない。(だいたい1時間、はだめ)

そこでTogglのアプリを使ってみた。

toggl.com

リンクはWindows用だが(というか、Windows用のあるんですね。仕事中はこっちにしようかな)、私は普段はiPhone用のアプリを使用している。
タイムトラッキングしてみたところ、「ただの移動」に充てている時間が
・バス停までの歩き 10分
・駅までのバス   15分
・最寄り駅から会社 15分
の往復分で、なんと80分もあったのだ。

 

さらに、手がふさがっているが、耳が暇している時間がたくさんあることに気付いた。
身支度を整える時間、買ったものを冷蔵庫に移す時間、調理している時間。
特に1日の中で食事を用意する時間は意外と長く、40~45分程度耳が暇している。新しいものを作ってみるのであればこの通りではないが、何回か作ったことがある「いつものご飯」は、情報収集しながらでも問題なくできる。
こうして、1日およそ125分程度、すなわち2時間、音声メディアからであれば情報収集に充てることができることに気が付いたのだ。

 

原因2:優先順位が決まっていない

これは、todoリストを作成する段階での原因だ。
衝動的に、「あ、やりたい」と思ったこともtodoリストに入れてしまうことがある。例えば私なら…北欧モビールを作りたいとか、刺繍をしたいとか。
仕事では、漫然と「自分がやるべき」と思い込んでいることもある。構造的に物事をとらえよう。

 

先日、ストレングスファインダーを受けたところ、私の上位資質は「最上志向」「内省」「学習欲」「戦略性」「収集心」であった。

こう漢語でならべるといかにも固い印象だが、簡略に伝えると「より良くありたい、という思いが強く情報の収集をして自分を高めたいと考えている、でも人の懐にうまく入るとか包容するのは苦手」な人である。

これを受けていたので、より情報を効率よく入れて考える時間=内省する時間を持ちたいと思っていたので、空き時間を情報収集に充てるというのは私にとっては歓迎すべきアイディアだった。

もし私が他者や家族にぐっと向き合いたい時期であれば、空いた耳を使ってインプット、ということをそこまで重視しなかったかもしれない。

 

 

耳読のススメ

Voicyでワーママはるさんの当該の回を聞いたのはたまたまだったのだが、その後「耳読」の良さに気付いて、以前よりもっとVoicyも聞くようになった。

 

よく耳読しているコンテンツはこちら。

■Voicy
・ワーママはるさん(ワーママはるラジオ)
・ルシュカさん(英語を学ばナイト)
・motoさん(motoのリーマンラジオ)
■Audible ・人文系(DaiGo、山口周など)

 

とくにmotoさんのVoicyは必聴。
コンテンツが絞られているからこそ、motoさんの根幹にある価値観が非常によくまとまっている。

 

KindleiPhoneの読み上げ機能で耳読したこともあったのだが、文章中の単位をうまく読めないらしく、飛ばしてしまうので内容が通らず、使いづらかった。

一方のAudible(amazonのオーディオブック)はナレーターが読んでくれるので自然で聞きやすい。しかし個人的には淡々と読んでもらえるのが好き(意味合いをつけるのは読者という考え方)なので、時々、活き活きと抑揚をつけて読んでいるものがあるが、ニュートラルな気持ちで聞くことができないので苦手である。

購入前にサンプルが聞けるので、内容だけでなくナレーターの声や話し方にも注目してみたい。


小説は個人的には目で読むのが好き。自分のペースでどきどきしたりハラハラしたりできるので、多分これからもずっと小説は本を購入すると思う。

 

まとめ

今まで、情報収集をするのはもっぱら目で、情報収集の中でも「読書(目読)」を最も価値ある行為だと認識していた。

なんとなく耳で聞く「オーディオブック」に対して「けしからん」と思う気持ちがあったのだが、毎日やらなければならないが無駄のある時間を活用できることが嬉しく、毎日喜んで聞いている。

特に情報を集めて自分なりに理解するのは私にとって重要度が高いことなので、それに割く時間が増えてとても嬉しい。また、自分の人生を自分でドライブしている感覚がとても心地いい。

今後はより精度の高いインプットのために、目、耳どちらでもスッと集中できるようになりたい。

 

とはいえ、朝早い時間からハイペースでインプットするようになったので、メンタル不調を起こさないようにするため、パフォーマンスを落とさないようにするために瞑想やヨガをこまめにするよう気を付けている。

習慣化したいが、今は他のことを習慣化するようにしている最中なので、体調面を気にしつつしばらく様子を見ようと思う。

 

余談。

「一つ目は…、二つ目は…」と記載するのが「正しい日本語」なのだけど、頭の中で整理するときには1,2…と数字で追えたほうが整理しやすい。
そのため今回は「1つ目は、…」という書き方をしてみたのだけど、うーん、ちょっと納得しきらない感があるな…。

ちょっと模索します。

 

では、今日はこのあたりで。