飛び石ジャンプ

辛い日々も飛び石のひとつ。よく遊び、考え、暮らしを愛でる日々のブログです。

選べるつきあいは選ぼう

友達に会いたい。
飛沫なんて気にせずに顔付き合わせて演奏がしたい。
馬鹿な話に大笑いして、美味しいもの食べたい。
仕事の愚痴も聞きたい。

大人になってから友達関係が楽しくなった。
ふと、最近人間関係に悩んでないな~と思ったので、ちょっと振り返り。


離れてもよいと理解すること


ここ数年、「あ、無理だ」と思った人とはスッと離れるようにしている。
みんなはきっと多かれ少なかれ、「疎遠になる」ことで、合わない人とは自然と距離を取っているとは思うのだが、私はそれがとても苦手だった。

合わなくても「付き合いが長いから」と我慢して付き合いを続けてしまうことが多かったのだ。
あと、幼少期から友達を「作る」ことに対して苦手意識があったので、せっかく親しくしてくれている人を切ってはいけないのではないか、という思いが強くあった。
これは思えば、自己肯定感の低さや自信のなさから、相手との関係に依存していたのだと思う。一人になるのが怖かった。

だがここ数年は、孤独よりも、「合わない人といることで疲弊してしまうこと」の方が嫌だと感じるようになった。
結局、割と好きに生きていても、数人とは仲良くできるし、合わない人はどんなに頑張っても合わないしね。

ここ最近の判断基準としては「支配的」かどうかがキーになっている気がする。
関係に甘えすぎると相手に対して支配的になってしまうし、他人と自分が分離できていない相手といると「あなたは○○すべき」とジャッジされてしまいかねない。

特に最近は、「自分の事を自分で決める」ということをとても大切だと考えるようになった。
大卒で頑張ろう!と思って就いた仕事で挫折したり、馬鹿にしていたはずの生き方を選んだりして、思ってもいなかった選択を都度都度してきた。けれど、結局は今にフォーカスするしかないと理解できたから、今は全ての選択をよかったのだと思える。
きっと他人が「あなたはこれが合ってる!」と決めてくれた生き方を選んでいたら、同じように思ってもいない場所に流れ着いたとしても人生の満足度が違ったと思う。
自分の人生だから、自分で選ぶから愛おしい。

 

一方、「良かれと思って」相手に干渉する人がいる。
「あなたは○○に努力すべきだ」と一方的に裁いてきたり、関係に甘えて「あなたなら理解してくれると思ってた」とこちらの思考を制限しようとしてきたりする人だ。
良かれと思ってモノや思いを与えてくれることもあるが、「ください」とも言っていないのに与えられても困るのだ。


自分とは違う考えの人がいるのもわかるのだが、自分が大事にする生き方をさせてくれない人と付き合うことは、もうあきらめた。
違う考え方をすることと、それを強いてくることは全く違う話だ。

自分の愛する者や考え方を否定してくる人とは関わらなくてよいのだ。

月1くらいのペースで「いいこと」がまだかと調査電話してくる親族がいたのだが、先日ついに連絡を絶った。
彼らがなぜほぼ他人の赤子の誕生を心待ちにするのか全く理解できないのだが、年長者の「ご助言」は尊重されるべきだという認識でいるらしく、結婚したとたん支配しようとしてくるようになった。そもそも大きなお世話だし、頻度も高すぎだろう。

私の知らないところで、ぜひ幸せに過ごしてください。

 
そして、合わない人を安心して切ることができるのは、大切にしたい友達がいてくれるからだ。大切な人を大切にするだけでも人生忙しい。
思うだけで頑張ろうと思えて、「恥じないように生きよう」と美意識の根源になるような友人を持てたことは、本当に本当に幸せなことだと思う。


9歳の自分に見せてやりたい


子どものころは友達が少ないことをすごく気にしていた。
体も小さくて頭もよくなかったので(おまけに運動神経もよくない)、からかいの対象になりやすかったこともあるかもしれない。
思春期にはべったりした女の友情を馬鹿にした態度を取っていたが、わかりやすいほどに羨ましかったんだろう。

当時はなおさら「合わない人とは付き合わなくていい」とも思えなかったから、孤独でないのなら合わない友人でも縋り付いていたように思う。

今9歳の自分に会えるなら、「好きになれる人とだけ一緒に居てもいいんじゃないの」と声をかけてやれるかもしれない。一方、「クラス替えまでの期間だけと無理に割り切らないで、好きならずっと好きでいいんじゃないの」とも言ってあげられるかもしれない。離れられるのが怖かったから、「どうせ期間限定の付き合い」と心に保険をかけていたけど、それももったいないことだったよなぁー。

 

それでも人の縁は不思議なもので

それでも不思議なもので、何年も会っていなかったのに、まるで昨日の続きみたいな時間を過ごせて、「また、明日も会いそうだね」なんて話して別れる人もいる。
夫とも、タイミングが違えば夫婦にはならなかっただろう。

 

さらに、相手がどう思っているかは究極のところ分からない。

そういえば先日、昔から私の一歩先を行っているように思っていた友人から、「私たちはよく似ているから」と言われてびっくりしてしまったことがあった。いや、憧れであって似てはいないでしょ~と言いつつ「え、似てると思ってくれてたんだ」と嬉しくなったことがあった。
私が「好きで好きでたまらん!」と思っている友達も、私のことを鬱陶しく思う時もあるだろう。

 

相変わらず人間関係得意な方ではないけれど、打てば響く素直さは大事にしたいと思う。