飛び石ジャンプ

辛い日々も飛び石のひとつ。よく遊び、考え、暮らしを愛でる日々のブログです。

結婚式を挙げました

結婚式を挙げた。

蒸し暑い秋晴れの日、すでに夫婦であるはずの私たちが改めて結婚式を挙げた。


入籍から1年も立つのに挙式をした明確な理由は忘れてしまったが、夫とはたくさん話し合った。結婚するしないの話をしていた頃はいくぶんか温度差もあったけれど、最後は二人とも本当に楽しみだった。

新婚旅行や結婚式という大きなプロジェクトを、二人で歩みを揃えて楽しめたのが本当に嬉しかった。


挨拶は、夫の伯父に頼んだ。

私は、夫と伯父の関係が大好きだ。


二人とも会えたときは嬉しそうで、共通の趣味のゴルフ談義に花を咲かせている。

私はゴルフの話がわからないので、卓球の試合でも見るようにただ二人を眺めているのだが、

それが本当に楽しい。



そして、2才になる甥っ子がアイドルとなって場を盛り上げてくれた。

甥は夫の兄の子であり、私とは血の繋がりがない。

そして夫と甥はとても仲良しである。

精神年齢が近いんじゃないの〜なんてからかいながら、本当は羨ましくて少しやきもちを妬いている。でも、どっちに妬いているかわからない。



披露宴中、何度も甥が夫の近くに駆け寄り呼んでいた。

その度に、夫は高砂から立ち上がり、小さな彼の元に行こうとしていた。

毎度毎度それが私たちの起立のタイミングと重なり、式場スタッフが慌てて「し、新郎さま!」と夫を呼び戻す。

なんで呼ばれるたび行っちゃうの、と聞くと

だって、可愛いんだもんとのこと。

じゃ仕方ない。


どうやら出されたパンが美味しかったようで、夫に食べて欲しかったらしい。

私一人退場する場面があったのだが、そこでも甥っ子は夫のそばに駆け寄っていたそうだ。

家族が撮った写真を見ると、案の定手にはしっかりとパンが握られていた。

一丁前に夫と立ち話をする姿が、なんだか可笑しい。


兄夫婦(夫の兄夫婦。わたしから見れば義兄夫婦だが、以下兄夫婦)が気を利かせて、甥っ子を私の隣にも連れてきてくれたのだが、照れてこちらを見てくれなかった。

家族になったばかりだもん、仕方ないね。

ちなみに夫の祖母は、間違えて義姉の名前を言ってしまうらしい。

いつか、誰かに間違えて私の名前を呼びかけてしまうなんてことがあるのだろうか。

あったら嬉しい、と密かに思っている。


夫に抱かれた甥っ子は、まだわたしには見せてくれない楽しそうな表情でカメラを見ている。

いつかわたしの腕の中でもそんなくつろいだ表情をしてくれたらいいな、と思っている。


そして、近しい人が撮った写真には関係が痛いくらい写り込んでいる。

私は大笑いしていて、妹は笑えるほど泣いている。何人もの人が撮ってくれた、ほぼ同じ構図のほぼ同じ写真が、もう同じ写真には思えない。


そして、言うまでもないことだが、タキシード姿の夫は誰よりも魅力的だった。

こんなに素敵な人に選んでもらえてよかったなぁと思う。

夫と家族になったことで、夫の家族が私の家族になる。ひとりひとりを選んだわけでも選ばれたわけでもないが、もう他人ではない。



結婚式が始まる前までは、いくら血の繋がりがある家族であるとはいえ、関係の上にあぐらをかくような甘えは嫌だと思っていた。

もちろん、夫や私を否定したり、わざわざ嫌がることを言ってきたりすれば話は別だ。

血や苗字に関わらず、その人からは離れる心づもりでいる。

一方的に甘えられ寄りかかられるのは、苦しい。


でも、甘えを一切許さない関係もまた苦しい。

家族だからという甘えがある一方では、もうええか!家族やしな、と許せることがある。


これまで生きてきた中でも、甘えられる苦しさも味わった。

でもそれだけ、こちらも甘えてきた。

「お互い様ね」と言い合えるそんな関係が、結局「いい家族」と言える関係だったんじゃないだろうか。


縁を切るということは、相手をジャッジし見切りをつけることでもある。愛がある夫婦、ひいては家族関係において、常にジャッジし合う関係は緊張してしまう。


ここ数ヶ月で何度も義実家に泊めてもらったので、前よりもずっと義母と義祖母と親しくなった。そのことが、こんなに嬉しいことだと知らなかった。


くだらないことで笑い合い、許しあえる二人でいたいと思う。

まずはその1日目、家族みんなで笑いあった今日のことは忘れられない。